ボクの当事者はボクだけだ

依存症じゃなかったら…
HIVにかからなかったら…
逮捕されなかったら…
そういう人生については想像できたりもする。

ただし、ゲイじゃなかったら…

この問いにはうまく答えることができない。

だってそれは限りなく「もし自分じゃなかったら」に近い問いだから。
そのくらいセクシャリティってどうしようもない自分自身なんだから。
自己責任で語れない事実なんです。

自分のセクシャリティについてどうしてと考えることは少なかったけど、ゲイに生まれたことは同調圧力に抗う天性の才能を与えられたと今は思えるようになった。

もっと反骨でやってやろうと思えるようになった。

「何十年もマイノリティを受け入れない社会に目を瞑ってきてやったんだから今度はそっちが受け入れろや」

残りの人生はこのスタンスで生きてやろうと思えるようになった。

 

そのままでも大丈夫と思える体験不足。
生きていく上での絶対的自身の欠落。
ぬけない肩の力。
崩れてしまいそうな怖さ。
歪に強化されていく「自分」へのこだわり。
「何事も自分で決める」が最優先。
ルールも常識も法律だって自分の解釈で理解する。
踏み越えるのも自分らしさとためらわない。

とてもわがままに聞こえるかもしれないけれど、ボクにとっては人間らしさより自分らしさの方が大事なんだ。だから自分らしさを貫いた結果こうなってしまったことについては後悔はない。
あー病んでんな。

 

でもたまに泣きたくもなる。でも似合わないから…だからボクは怒ることにする。ボクは怒り、求める。一緒に泣いてくれるより、一緒に怒ってくれる同士を。もしも泣いてたら、泣くな怒れ!って尻を引っ叩いてくれる同士を。なにかあればすぐに駆けつけたいと思える同士を。

友達はいらない。同士が欲しい。そう心から思う。

 

収監まで後28日

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『夢を叶えるゾウ』水野敬也

「人から助けてもらえる人にはそうされるだけの理由がある」と書いてあった。ということは、人にめぐまれているボクにはそれ相応の価値があるということになる。