NO DRUG , NO LIFE
「そのクスリなんですか?」
ホスト君が朝食後に受け渡されてボクが飲んでいるクスリについて訊いてきた。
問題になりそうな種は自分からはまきたくはないが、うまい嘘が思いつかず、当たり前の口調で「HIVのクスリだよ」と答えた。
「遠い親戚みたいなもんだね」
「なんでうつったんですか?」
「注射がセックスかはもうよくわからん」
「死ぬんですか?」
「うーーん、いつかは死ぬけどこの病気が原因で死ぬ人は日本じゃもういないと思うよ」
「怖くないですか」
「刑務所に行くほうが全然嫌だね」
「まあそうか」
「心配しなくても、誰かに感染させるほどのウイルスは体にはいないから」
そんな風に他の二人にも聞こえるように説明した。
「へーそうなんですね」で会話は終わった。
誰も無反応であるが、なにかしら作用してしまったようだ。以後、ボクが咳をすると、部屋に緊張が走るようになった。
事実として感染源になることはない。だけど、そのことが知識として周知され、かつ体験として理解されなければ、事実としては機能しない。ボクは彼らにとって安心安全でない存在になってしまったようだ。だけど心配ない、ボクがこの病気に慣れたように彼らもボクというHIVキャリアに慣れてしまうだろう。時間薬の効き目をボクはよく知っている。
ホスト君と会話でボクは思い出した。ボクは生きるためにHIVのクスリを服用していたんだと。
この当たり前の事実のその奥を考えてみた。
ボクは今、治療薬を享受されるほど生に執着しているのだろうか。
本気で生きたいと思っているのだろうか。
治療薬を飲むべき資格があるのだろうか。
生き続ける理由がきちんと見つかるまでクスリはやめるべきではないか。
うん、そうしよう!
罰当たりな自傷行為が大好物なボクの中のメンヘラが騒ぎ出す。さて、この愚か者に時間薬は効いてくれるだろうか。
『公開処刑人 森のくまさん』堀内公太郎
途中で犯人わかっちゃったんですけど。それでも最後まで読み切った自分はえらい。