地裁のマーガリンは警察署よりも2g少ない

昨日、地検において事件については黙秘したが予想通り勾留請求された。結果、本日は東京地方裁判所へ連日の押送となった。一旦、地検に連行され、そこから地裁へ行く者が一本の綱に繋がれる。ある意味、いや文字通り裁かれる者たちの「絆」である。「壁を向け」「目線は前の人の背中」「床を見ろ」さもなくば「目を閉じろ」…つまりはお先真っ暗である。地裁の椅子はなめらかで地検ほど座り心地は悪くはない。が、状況的には検察官から勾留請求されたということもあり追い詰められている状況だ。

 

覚醒剤の使用については、問題の錠剤の中身が何であるか未確認の半信半疑の使用であっても法律上は「使用の意思あり」とみなされる。ボク自身、常日頃からどんなシチュエーションであろうがそこに覚醒剤はないだろうかという可能性(期待)をもって生きているわけで(アディクトの悲しい性)、覚醒剤の成分が入っているとはいっさい思っていなかったというような厚かましい主張はここではできない。覚醒剤陽性反応の出ている尿という動かぬ証拠があるため、不起訴を目指すのであれば捜査方法が正当に行われたかを焦点にして争うしか無い。

 

ここでは裁判官から勾留質問をうけることになる。ボクは弁護士との打ち合わせ通り、容疑については(つまりは使用の意思については)認めた。面接はほんの5分ほどで終わった。どの検事もどの裁判官も薬物事件については、特段な思い入れもなくしゃんしゃんな雰囲気でこなそうとする。これはボクの被害妄想ではないと思う。面接の最後に裁判官から「何か聞きたいことはありますか?」と聞かれた。「ボクは幸せになれるでしょうか」と聞いてみたかったがやめておいた。

 

捕まってからここにきてはじめて弁護士以外の誰かに連絡をとることができるようになる。ボクは…特にいなかった。どうせならもう誰とも会いたくないというのが本音だった。「あゝなにやってんだろうオレ」そんな声なきため息をあと何度つけば今日が終わるんだろう。前来た時にはもう二度と来ないと誓って地裁の待ち合い室を後にしたはずなのに、人生はどうして繰り返すんだろう。しかも悪いことに限って何度も何度も。

 

刑務所にもどって10日間の勾留が決まったと説明を受ける。心が辛いから腹も減る。その後に出された冷えた弁当さえも無性に美味しいと思える絶望的生命力に我ながら脱帽す。

 

 

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陽気なギャングが地球を回す』『陽気なギャングの日常と襲撃』伊坂幸太郎

芸は身を助けるというが自分を助けてくれるほどの芸でないと意味はないし、物語にはならない。