ボクだけが変わりゆく世界

検事調べのために東京地方検察庁へ向かった。数年ぶりの手錠の冷たさも腰縄の違和感も乗せられた護送車の薄暗い雰囲気も以前と同じだった。なぜか外の景色までもがまったく変わらないように見えた。警察署から地方検察庁への被疑者の押送のやり方はもう何年も変わっていないようだ。そしてこの先何年も勾留者にとって居心地いい風に変わることはないのだろう。

地検の待合室には主に検事調べに呼び出された者たちが10人づつ割り当てられれる。それぞれの警察署から届けられた産地直送採れたての容疑者たちの箱詰めだ。この場所は事情は異なれど連れてこられた者皆に通づる「あの日あの時あの場所でもしもあーしてなければ」という声にならない後悔の静寂に支配されている。

地検の待合室の椅子は固い。なかなかに固い。ここまで固い物をボクは知らない。これまでで一番固かったものは何かと尋ねられたらボクは間違いなく地検の椅子だと答える。そのくらいに固い。その固い椅子に、検事室での調べの時間以外の9時過ぎから夕方あたりまで座りっぱなしだ。もちろん私語は厳禁だし、よそ見をしてもいけない。怒鳴られる。まちがって抗弁しようものなら、思考を麻痺させるような大声でまくしたてられる。(ここは構造的に声がとてもよく響くつくりになっている)。それでもヤクザの人なんかはふてくされたような反抗的な態度で応じることもあり、そうなるとわさわさと担当職員達が集まり、ビデオカメラも持ち出され撮影されたりもする。多勢に無勢とはこういう事を言うんだろう。

ヤクザと警察はよく似ている。どちらも一般市民から巻き上げた金を生業の原資としている。ほとんどの警察官がつけている薬指のリングとヤクザの入れ墨は、意味合いは違えども背負う者の覚悟と弱さの象徴だ。属する先を手放せない生き方。上下関係が重んじられ、組織のルールには絶対服従な世界だ。価値観が似ている者同士だから喧嘩もできるんだろう。

検事調べの呼び出しがあり、検事室に連行される。被疑者に不利益になるような調べの密室化を防止するためにその様子は終始撮影される。だが被疑者しか撮さない位置にカメラは固定されてあり、まったくフェアじゃないやり方だ。独白ではあるまいし、調べる者と調べられる者のやりとりによって供述はなされ、調書は作成されるのであるから、自分だけが撮されているというのは納得いかない。(ここにくると反抗期に戻ったようでさわるもの皆傷つけても構わないような気分になってしまう)。

「弁護方針がはっきり決まるまでは事件に関する供述については黙秘」と弁護士との話し合いで決めたから、名前、本籍、生活歴などの人定質問にしか答えなかった。過去は変わらない。「そんなの前回の記録があるだろう」と言いたいが、刑務所を出てからの生活についてを確認したいようで、思い出すまま語った。

刑務所を出てからは、更生保護施設に入り、次の日から最賃に近い給料の飲食店の障害者枠で働いていた。夜の依存症の自助グループと二週に一回の精神科の診察には約束通り通った。ひとり暮らしをはじめて、月三回の保護司の面談、保護会の離脱教育にもきちんと通った。一年半後にスリップ(再使用)した。そのことを職場に打ち明けたらクビになった。失業手当だけのギリギリ以下の生活だったがもう一度依存治療に集中しようと決めた。薬物依存の専門病院のプログラムとダルク通い…生活のすべてを回復に捧げた。半年のプログラムが終わった頃、世間はコロナ禍だった。働きたいと思った。失業保険の期間はまだ半年ほどあるが、働かなければと思った。誰かのために何かをしたいと思った。ホームレスの支援団体に就職先は決まった。犯歴についても、もっていた資格がそのせいでまだ一年先まで失効中であることも面接では言わなかった。面接の雰囲気だと打ちあけても大丈夫そうかとも思ったが、その前に申し込んだいくつかの会社で前科を伝えた瞬間に空気が変わったことを思い出してやめた。それから一年半、がむしゃらに働いた。給料は安かったが仕事自体は楽しかった…といったら語弊があるが充実していたし、うれしいことにたくさん出会える現場だった。コロナが終わるまではやり遂げてやろうと思っていたが、今回のことがあってボクの方がお先に幕引きすることになりそうだ。そんなとこだ。

本日の検事調べ、時間にして26分。ボクの出所してからの3年半は約30分のダイジェストにまとめられた。待合室にいたときには「もし不起訴だったら残りの人生全部利他的に生きてみせる」そう誓いもしたが、なんだか話していたら「やれるだけのことはやった。ここまでやっての結果がこうならもう仕方ない」そんな気分に変わっていた。

待合室に戻ったらちょうど昼食時間だった。地検で出されるパンは警察署のやつよりも甘みがあって美味しい。あの頃のボクはこんな風に冷静にパンの味なんて味わえなかった。もっと恐怖でいっぱいだった。警察への恐怖、留置所での生活の恐怖、これからの人生への恐怖、ただただ怖かった。怖くて思考も感覚も失っていた。今は…こんなもんだったっけなあとこの状況に慣れてしまっている自分がいる。

きっとこのまま起訴されて、職場クビになって、家族に縁切られて、家財道具も一式処分して、無一文になって、知り合いもみんなリセットして、裁判で二年半の判決が出て、拘置所行って、分類があって、どこかの刑務所へ移送されて、刑期がはじまって、そこでさんざんに嫌な思いをして、嫌というほど本を読んで、刑期明け間近に鬱になって、なにはともあれ釈放。外の世界に目がくらんで、そしてだんだん馴染んで、過去を都合よく隠しながら仕事を始める。這いつくばるような社会復帰…そんなとこだろう。そんなもんだろう。なるように流れていくこれから先の自分の人生のありようが具体的に想像できてしまう。

ボクだけが変わっていた。

考え、感じる余裕を手にした代わりに恐怖を失った。痛い怖いとこに手を出すやつは早死すると誰かが言っていた。早死は厭わないが、幸せには死にたい。オレって馬鹿なのかなあ。弱いのかなあ。愚かなのかなあ。ただ普通に生きたいだけなのになあ。

 

 

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『マチネのおわりに』平野啓一郎

同郷で同年代の作者と自分の落差にうっとり。退廃的な恍惚。