白い思い出
火葬場に来るのなんていつ以来だろう。
ボクは縁起の悪い人間なので家族の集まりごとにはあまり呼ばれない。
その人の最期の顔がじいちゃんとばあちゃんに重なって、別れの場面なのにボクはうれしく思えた。
遺体が焼かれている間、みんなでその人の話をした。ボクも思い出した。
その人はひとりで生活をしていて、ある時ボクにゴミ袋を持って来てほしいと連絡をしてきた。その人から何かを頼まれるなんてそんなにないことだったのでボクは嬉々として家にあったゴミ袋を何枚か掴んでその人の元へ行った。「このサイズでいいですか?」といってゴミ袋を開いたときに、注射器がぽとっと落ちた。ボクは固まった。その人は不自由な足をかばいながらゆんくりとしゃがんでその注射器を拾い「危ない遊びはやめなさい」と言ってボクに渡してくれた。ボクは黙って受け取った。かなわないなあと思った。それがその人と会った最期だった。
骨はきれいな白だった。覚醒剤みたいにきれいだった。
白い骨になったその人は骨壷に入ったけど、この思い出はボクの記憶にいつまでの残るだろう。
収監まで後14日
ポジショントーク
今回の逮捕でやめることになった職場が送別会をしてくれた。
正直気乗のりはしなかった。だけど逮捕以来一度も顔をあわせていない同僚たちに直接あやまりたかったし事情を説明しておきたかった。そのぎりぎりの義務感が背中を押した。
送別会自体、涙もあったが和気あいあいとしたアットホームな雰囲気だった。
流れに身をまかせて「出てきたら待ってるからね」「はい。わかりました」そんな笑顔のやりとりで終わらせることもできただろう。
やさしくされればされるほど、受け入れてもらえなかった事実が際立つ。
ボクの中の人格障害が騒ぐ。
「今回退職しなければいけなくなってとても悲しかったです。そして仕事を失いとても困りました」と本音を吐いてしまった。
シリアスなムードの中で伝えられたのは「これからアディクションについて理解を深めていきたい。うまく受け入れていけるような職場環境を作っていきたい。だけど申し訳ないけれど、今はその準備ができていない」そんな内容だった。
デジャヴ…あっそっか!前の職場でスリップしたときも同じことを言われてやめたんだっけなあ。
「そのために当事者として知恵を貸してほしい」とたのまれた。
ボクは監獄のレクター博士のようにその質問への明快な答えを持っている。
「受け入れることだと思います。どんな問題がおきるかなんかわからない。リスクなんていくらでもあげようと思えばあげられるし。でもそのリスクはルールや規則に姿をかえてたちどころに誰かをしめ出しかねない。何かがおこった時点でその問題を共有するそのプロセスが大事なんだと思います。受け入れない限り学びはない。だからまず受け入れることが大事なんです」
受け入れてもらえなかったボクが言えるはずもなかった。
職場の人達は社会問題に対してとても意識が高くアディクションについても理解は深い。
さらにボクというアディクトと(まあ若干難のある人格であったことは否めないが)一年半以上一緒に働いていたという実績もある。頭で理解して体験として共有できて、それでも共存をさまたげるその理由は何なのだろう。
ボクのしでかした事件で職場全体は泥水をかきまぜたようになったらしい。
その混乱をボクはいつも知ることができない。
ボク自身の泥のにごりもまだおさまっていない。
沈殿物と上澄みの間のすきとおった部分がきちんと分離されてすっきりと落ち着いた頃、ボクのこのうらみがましい、いじけた言葉選びも変わっているはずだ。
ボクはもっと過去の話を軽やかにやわらかに、そしてもっとさわやかに語れるようになりたい。
怒れる男
その人は立腹していた。
ビールを数杯飲んで焼酎のボトルをあけてもその怒りはおさまらなかった。
どうしてこんな理不尽がまかり通るのかと声を荒げてボクに訴えた。
その理不尽とはボクが収監される話である。
「今回のことがあってボクの周りも色々と変わることもあったし、その変わるきっかけになったことは確かだし、ブログを書くこともできたし、無駄じゃなかったと思ってるよ」とボクは言った。
「それは確実に詭弁ですね。納得いかない。絶対におかしい。2年間の収監生活ははっきりいって必要ないことです」とボクの意見を切り捨てた。
切り捨てられても仕方ない嘘言なのでボクは甘んじた。
さわやかに飲んで酔って愚痴って別れるつもりだったボクの目論見は外れた。
店を出たら雨が降っていた。
ボクは今のボクらにはアウトプットが必要だとアセスメントした。
夜の街で怒りも詭弁も悲しみも吐き出せる場所…カラオケに行った。
ボクらは歌った。
彼の怒りを癒そうとしていたボクは歌ううちにヒートアップしていった。
交わしたい言葉を後回しして二時間歌い続けた。
店を出たら雨はやんでいた。
中野駅まで歩いた。二年後にまたここで会おうと約束をし、ボクらはハグをして別れた。こんなに自然にハグできたのは収監がさしせまったからだと思ったが、もしかしたらこれも詭弁的行為なのかもしれない。
今、ボクのアンセムは髭男の『発明家』だ。
止めないで 反抗期のパレード♪
自転車に乗りすれ違う人も気にせずに歌う帰路。とても気分が良かった。
週間まで後16日
高校の同級生とオンラインで飲んだときに「また捕まった」って言ったら「アホ」と一言で切り捨てられた。これもまた正しい反応なのである。
高校の同級生とオンラインで飲んだ。
夜まわりにて
ボクはとんでもなくだらしのない人間だから ちょうじりを合わせるために たまにちょっといいことをしたりする。
例えば、路上生活をしている人に弁当を配ってまわる 夜まわりのボランティアをしたりだとか。
今夜は都心をまわった。
だいたいいつも同じ場所に同じ人がいる。
食料に防寒グッツ、SOSガイドと名付けられた支援団体の連絡先が載ってある冊子にテレフォンカードを配る。
テレフォンカードが使われることはあまりないようだが、ごくたまにそこから支援団体のサポートにつながることもある。
ただ、そこから避難先のシェルターなんかに入っても、しばらくして元いた路上に戻ってしまうということも少なくなく(多いと言い切ってしまった方が正しいのかもしれない)、また夜まわりで再会するといった具合だ。
居ごこちよさは人それぞれだから「何で?」と思っても受け入れる。支援者は繰り返し「寒くなってきましたし、またどうですか?」なんて声をかける。
ボクはこのアウトドアライフと屋根のあるシェルター利用のハイブリットスタイルに好感を抱く。
そこには「薬はもうやめよう」と「薬をやめるのはもうやめよう」とを行ったり来たりする自分の心情と通ずるものがあるように思えるからだ。
すべての人に自分だけの住まいをというハウジングファーストの理念。
この理念を胸に「その人がその気になるのを待つ」「その人のタイミングを大事にする」「強要せずに関わりつづける」胆力勝負の世界だ。
ハウジングファーストとハームリダクションって似てるなぁ。今より少しでも...正しくもやさしい。
「もう一度シェルターに入ってみようかなぁ」と路上の人の声がきこえる。
この瞬間に立ち会える至福。これくらいのうれしいと思う気持ちはゆるしてもらいたい。
余ったお弁当をいただきました
響く言葉
定期的にボランティア団体のIさんが面談してくれる。
面談と行っても面接室なんかで行われるいわゆるカウンセリング的なものではなく、人のいないカフェで日常会話するだけだ。
ボクは誰かの心配ごとにのるのは得意だが、自分について心配されるのが非常に日が手である。クスリについてもそうだ。生活のすべてを回復に捧げるくらいなら再使用して捕まってもかまわない。そこまでは言わないが、とても晴れた空なのに「傘持ってきなさい」って言われる感じ。そういうのには反発したくなる。ボク以上にボクについて心配してほしくない。
だからこのカジュアルなスタイルはとても居心地いい。
小一時間ほどのうち明日まで持っていける言葉はひとつあればいいほうだ。
「@君はさー。パートナーシップの成功体験がないんだよね」
今日もしっかりいただきました。
収監まで後19日